『ハワイに行きたいです。』
その声に振り返ると。40代のやわらかい雰囲気のする女性が礼儀正しく座っていた。夕飯の買い物帰りのようだった。肌寒くなりはじめた10月。濃い緑色のカーディガンを羽織って。
その日は、支店長が休みの日で、一応、所長代理という肩書きを持っていた私は、いつもの席に座っているのではなく、バタバタと動き回っていた。閉店間際だったので、経理のことをやったり、営業所の一日の締めの数字について考えたり。とにかく、忙しかった。
他のスタッフも電話や来店の対応で手一杯だったので、私はその人の前に座って話を聞いた。
なんでも一人息子とハワイへ行きたいと言う。お子さんは、20歳そこそこだった。
めずらしいですね。いい息子さんで、親子仲良しでいいですねと私は答えた。
『息子のプレゼントなんです。』
いい息子さんで、素敵です。と私はさらに答えた。
『実は、主人が彼の小さい頃に亡くなって、主人とハネムーンに行ったハワイに息子が連れて行ってくれることになったんです。』
はにかみつつ、うれしそうに、どこかホッとした笑顔をしてお話しされる姿に。
日常に色が鮮明にやきつく。
ありふれた日常で、忙しい毎日の中で、見失ってしまう大切なことを。その一言がぐっと引き戻す。
仕事のやりがいだったり、旅が好きなことだったり、自分の大切な人のことだったり。生きている時間の尊さだったり。
そんな、大切な大切なこと。
その女性は、ただの通りすがりのような旅行会社のいちスタッフの私に、彼女の人生の機微をそっと打ち明けてくれた。私もあったかい笑顔をしていた。
Smiycle