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執筆者の写真マイケル

時を旅をする。


癒し

〜時を超えて〜

見ていた空はこんなにも違う。

私は、いつも空の地図を頭に描いて仕事をしていた。日本からは、どこに直行便が飛んでいるのかとか、航空会社の種類、飛行時間など、頭の中には、様々な路線図と経路、時刻表が張り巡らされていて、その着地点を想像しながら、空を見ていた。空は、いつも慌ただしくて、渋滞していたけれど、それは、楽しくて、ワクワクするものだった。

飛行機

6月中旬のある日。夏のピークがだんだんと近づいてきていた。店内は子連れのファミリーや友人と連れ立ってきた人たち、幸せそうなカップルで賑わっていて、夏休みの旅行にそれぞれが、それぞれの楽しい想いを巡らせていた。陽気でポップなBGMとひまわりや虫かごといった夏の風物詩で飾りつけられた店内が、古い雑居ビルの一角にある、そう広くはない店の空気と気分を彩りよく盛り上げていた。

一方で、スタッフは臨戦状態だった。

旅行会社の夏。7月から9月にかけて、海外旅行の出国のピークがやってくる。問い合わせも予約も出国も全てが一気に押し寄せてくるから、とにかく忙しい。連日連夜の残業も繰り広げられる。どんな仕事もそうであるように、旅行会社のスタッフの仕事もまた、予約を取って終わりという単純なものではない。まず、予約まで漕ぎ着けるまでに、丁寧に相談を受け、予算や要望に合った最適な旅行をプランニングする。

ピークシーズンのように混み合っていて、空席やホテルの空室がなかった場合、手続きはさらに難航する。やっとこさ空席を見つけ予約を確保したら、現地手配先とやり取りをし、入金手続きやチケットの発券作業、そうこうしながら、現地でのオプショナルツアー等の追加オーダや変更を受け、パスポートの情報やVISAの有無など、入国に必要な情報を調べたりする。お客様の出発が近づくと、チケットや旅行の日程表を準備する。多岐にわたる細かい仕事をこなしながら、営業時間中は、ひっきりなしに、来店や電話対応に追われるもんだから、てんやわんやになる日も多い。夏によくある台風なんかがやってきて、悪天候によるフライトキャンセルが入ろうものなら、さらにイレギュラーな緊急対応も必要となってくる。

そんな日はもう、涙はちょちょぎれ、毎日の時間があっという間に過ぎて、終わる。

オフィス

物静かで無表情な顔をした老人がやって来たのは、そんな時だった。30代〜40代と思われる男の人と一緒に二人でそっと店へ入って来た。

私は、少し不思議に思った。

一体どこへいくのだろうか??夏の旅行に向かってポップに賑わう空気とその男性二人組の醸し出す空気が相容れないような気がしていたのかもしれない。

「パラオ島へ、行きたいのですが。」ポツリと老人は呟いた。

老人の前に、ピンク色をしたカラフルな「グアム・サイパン・パラオ」と表紙に文字が書かれ、美しいビーチリゾートの写真がついたパンフレットを並べて置いてはみたけれど、やっぱりしっくりこなかった。

パラオについて、料金や日程を説明した。老人の隣に座る男性は、お孫さんのようだった。その男性は、直行便で行くことのみの希望を私に伝えた。私が務めていた頃はまだ、デルタ航空でパラオまで直行便が毎日ではないが、スポットの曜日で就航していた。パラオへ行くには直行便の他に、サイパンやグアムで乗り継ぎする方法もあった。しかし、その場合乗り継ぎ時間も合わせると6〜8時間もかかるし、同日接続の乗り継ぎスケジュールが上手くいかない場合には、乗継ぎ地であるサイパンやグアムで1泊する必要が出てくることもある。その点、直行便であれば4時間50分程でパラオまで辿りつける。ご高齢ということもあり、私も直行便がベストであると判断した。その他のよくある、ホテルのランクやリゾート施設、観光地についての質問は一切なかった。

1939年9月から第二次世界大戦がはじまり、そんな中で、1941年12月、ハワイのオワフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の基地パールハーバを日本海軍が攻撃する。日本は太平洋戦争へも突入した。戦況は厳しい状況が続いていく。グアムやサイパンを含むマリアナ諸島やパラオ諸島は、日本上陸の本土戦を避けるための、日本が何がなんでも守りたい領域であり、そのため終戦間際まで日本本土上陸を目指すアメリカ軍と防衛したい日本軍との間で激戦が繰り広げられた。

「なんだかね。ここは遊びに行くとこじゃない気がしてね。」

後日、チケットの入金に来た老人は、カラフルなパンフレットをゆっくりめくりながら、独り言のようで、話しかけてるみたいに、その言葉を私にくれた。

Smiycle

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