たった1度だけ、「無国籍」の人の航空券を手配したことがある。
手続き上、国籍を尋ねた際に、「無国籍です。」と言われたのだ。当時私は、「無国籍」の人がいることを知らなかったし、国籍がない=パスポートもない、どうやって海外へ行くのか、果たして行けるのか、疑心暗鬼を重ね、航空券の手配をするのを躊躇していた。
先輩が、VISA課の人に確認をしてくれて、「無国籍」の人でも手続きを行えば入国も出国もできるということがわかった。
その人は、渡航先のvisaや日本に再度入国するための再入国許可書を申請したりして渡航への事前準備をしていたはずだ。パスポートを持っている私には計り知れない労力があったと思われる。
通常通り、航空券を予約し手続きを終わらせた。
当時の支店長が、「たまに、そういう人いるよな。」と、さほど驚くわけでもなく話してくれた。
その時、ふと。私は、悪気は全くないけれど傷つけたかもな。と思った。
「無国籍です。」と聞いた後、私は慌てていたし、きっと本能的に不思議な顔をして彼を見つめたはずだ。幾度となく「無国籍」であると伝えた瞬間にされたであろう不躾な視線を私は向けたんだなと感じた。
その人は、きっと慣れっこだから、さほど気には止めなかったかもしれないし、またかと少し残念に思ったかもしれない。
それは分からないけれど、例えば、私が支店長のように、「わかりました。では、渡航に関する所定の申請や手続きはお済みですか?」と、淡々とフラットに振舞えたなら、その人は少しほっとしたし、嬉かったんじゃないかなと思った。
認知をされているということが、マイノリティーの人にとって安心感を与えると感じたから。
私は、会社を辞めてシェアハウスに住んでいた。センスの良いアンティーク調でブルックリンテイストのリビングには、今まで住んでいた人達の置いていった、たくさんの本があった。私はその場所が大好きだった。
平積みされた本の中に、「パレスチナに生まれて」という風刺漫画があって、ある朝、私は手にとって読んでいた。
ヨガのインストラクターをしていた、170cmの長身と長い足、憧れのスタイルを持つ素敵なオーナーさんがリビングにやってきた。
オーナーさんは、毎朝、以前住んでいたイタリア人のシェアメイトが置いていった、直火式のエスプレッソポットでコーヒーを入れて飲むのが日課だったから、コーヒーのいい香りがたちまちにリビングに漂った。
「何読んでるの?」から会話がはじまり、この本を置いていった人のことや、様々な国に生きる人について話をした。
私の住んでいたシェアハウスには、外国から来る人も多く、実際私は、中国、ポーランド、ドイツの人と一時居を共にしていた。オーナーさんは、もっともっとたくさんの人と触れ合っていた。
会話の中で、私が心に残ったことがある。
内戦や戦闘の続く地域に実家があり、今は日本で暮らすオーナーさんの友達の話だ。
オーナーさんがその友人と食事をしている時の話をしてくれた。
「久しぶりに国に帰って、家族や親族でごはんを食べていても数Km離れたところが爆撃されることがあった。国に帰るのも命がけだよ。」みたいなことを言われたそうだ。
オーナーさんは、「私たちに、何ができるんだろ・・・。」と呟き、
その人は、
「知ってくれているだけでいい。」と言ったそうだ。
何も具体的な行動ができなくとも、解決に結びつける力も時間も財力も気力も自分にはなかったとしても、
「知る」ことだけは、決してやめないで生きていこうと思った。
Smiycle
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