旅行会社に就職して1年目の夏休み。私はラスベガス へ行くことにした。
旅行会社で働く前は、海外経験や知識が乏しい私には、「ラスベガス =カジノ」くらいのイメージしかなかったが、10月に取る予定だった夏休みの行き先を決めかねていた頃、勤めていた支店では、ちょっとした「ラスベガス ブーム」が起こっていた。
スタッフの誰かが久しぶりに「ラスベガス 」の手配をして火が付き広がって、「ラスベガス 行きたいね〜。」「懐かしいラスベガス 、また行きたーい!」「ウィンラスベガス に泊まってみたい」「オーかカーを見たいよね」みたいな会話が、私のパソコンの向こう側で、あちこちから聞こえていた。
ということで、私は「ラスベガス 」に行くことにした。
カジノだけではない、ショービジネスも盛んなエンターテイメントの街ラスベガス 。少し足を伸ばせば、ディズニー映画カーズの舞台になったルート66やグランドキャニオンなんかにも行ける。魅力満載。
2人いる姉のうち、都合のつく1人を誘い5日間でラスベガスへ行くことに。売り出しになっていた10万円弱の安いツアーを予約した。ホテルと飛行機と、空港からホテルまでの往復送迎付き。
飛行機もホテルも自分で選ぶことはできないお任せタイプの安いツアーだったが、ホテルはラッキーなことに、プラネット・ハリウッドになった。プラネット・ハリウッドは、ラスベガス のメインストリートであるストリップ通り沿いの中心にあり、何をするにも便利。目の前には、噴水ショーで有名なベラージオがあり、横にはバッフェで有名なパリスホテルがある。ホテルの客室も広くてゴージャス!!
一方、飛行機はデルタ航空。決まってきた行きのフライトが曲者で、ポートランドで何と6時間待ち。。。長い、でも仕方がない。帰りはロサンゼルス乗継ぎで、乗継ぎ時間は1時間半くらいだった。
長期の休暇を取るために、仕事に追われる日々を数日過ごし、いざ成田空港へ。アメリカでの行きの乗継ぎは、最低でも3時間とっておいた方がベターだと教わっていた。ロサンゼルスやニューヨーク、シカゴなど、空港が巨大で難解なことと、入国審査に時間がかかる可能性があるということからそういう認識が常だった。
ポートランドの空港は、さほど大きくはなく、心配していた入国審査もスムーズに終わって、時間が多く余った。シアトルに近く日本の札幌と同じくらいの緯度にあるポートランドは、日本より少しひんやり感じた。
私は、とにかく時差ぼけと仕事疲れで眠くてたまらなくて、黒い皮張りのソファーでずっと寝ていた。放浪癖のある姉は、空港をプラプラしてどこにいるのかほぼ分からず。乗り継ぎする頃に無事に合流し、ポートランドからラスベガスへ向かった。
若く、可愛らしいポップなガイドさんが、ラスベガス の空港で待ってくれていて、15分くらいでホテルまで行くことができた。その日はもう夕方になっていたので、少しおしゃれをしてパリスでご飯を食べて、街をプラプラして眠った。
翌日は、グランドキャニオン へ。その翌日は、ショッピングにショー巡り。あっという間に時間は過ぎ、3日間のラスベガス 滞在は終わった。
最後の日の夜、歩き疲れてヘトヘトになっていたためベッドでゴロゴロしていると、しっかり者の姉が、自分の携帯はもう充電がなくなったから、私の携帯でアラームセットをして欲しいと言ってきた。
今のようにWIFIやシムカードが発達していなかったので、携帯は電源を切り保管していた。私は、バックの底から携帯を取り出し、電源を久しぶりにつけて、アラームをセットして眠りについた。
姉は、何度も大丈夫?セットした?と聞いてくれていた。
プルルループルルルー。
翌日、ホテルの電話で目が覚めた。
えっ??なぜ?ベッドから飛び起きて、真正面の台に据えられた電話の受話器をとる。
電話口から「今、ホテルの前までお迎えに来ていますが、まだいらっしゃらないので。。。」と送迎のガイドさんの丁寧な声が聞こえてくる。
ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
ドタバタで、ホテルを出て、何とか送迎バスに乗り込み、飛行機に間に合った。
私は、確かに携帯のアラームをセットしていた。日本時間のままで。
空港でも、飛行機でも、解散する成田空港でも姉は口を聞いてくれなかった。ご機嫌伺いに姉の好きそうなサンドイッチを買ってみたり、コーヒを提案したりしたが、無駄骨に終わる。
あれほど、注意したのにと。姉の怒りと失望はおさまらず。
成田空港から、とぼとぼと家路に着いて。翌日から始まる仕事に備えて眠る。
翌朝、姉から長文のお叱りメールと最後の日の態度についての謝罪が届き、私は深く反省。
今でも姉には、頭が上がりません^^
また、いつかラスベガスへ。
Smiycle
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