コロナウィルスが流行し、海外への門は閉まり。ライフワークであった「海外の旅」ができなくなった。今年は、フィンランドやニュージーランド、東南アジアへ行けたらいいなと何となく思っていた私は、立ち止まる。
そんな頃、Go toが始まった。8月に、家から30分圏内の地元の温泉宿に母と泊まった。年甲斐もなく実家でお世話になっているので、感謝の意味を込めてプレゼント。酒豪の私より、さらに強力な酒豪の母と美味しいお酒を飲んで、ごはんを食べて、温泉に浸かって。
日本の旅への関心が高まった8月だった。
10月下旬。大学時代の友を訪ねて三重へ向かった。理由は2つ。伊勢神宮に無性に行きたくなったのと、友人に会って話をしたかったのと。
「伊勢神宮には呼ばれないと行けないんだよ」と、ある美女が喫茶店でケーキを頬張りながら言っていた。私はついに、お伊勢さんに呼ばれたのかもしれなかった。
伊勢神宮は、それはもう、筆舌し難いもの。色々な思いにさせられた。私は、まだまだ、「日本」を知らない。「日本の文化、風土、心、歴史、大切に守り受け継がれているもの、年月をかけて形成されてきた日本人のアイデンティティ」。私が、失ってしまったもの、残っている感覚。その様なものを感じ、考えたいなと思った。
伊勢神宮・内宮にある五十鈴川(いすずがわ)。昔から参拝する前に、多くの人々が浄めを行ったとされる場所。美しかった、囲む山々の深い緑、澄んだ空気。伊勢を守り続け、大切に思ってきた人たちの営みの流れもまた尊く思った。
三重に住む、私の大切な友人は、社会派で政治家みたいで、たくさんの物事を現実的にも理想的にも考えられる人で、大学時代から色んな事を語ってきた。彼は教員。私は、理科教育専攻の教育学部を卒業している。9人しか学部にいなくて、その分、密な時間を過ごせた。彼、彼女ら、私を除く8人は、教鞭を奮って、日本の教育現場に真っ向から挑んでいる。
学生の頃から、討論に近い状態になることも多く、喧嘩というか、熱が入って言い合いになることもしばしば。彼は、とても鋭いし知識も深いし、理想論者の私からすると、浅はかな自分の考えを突かれているようになり、居心地が悪くなったり、貝のように口を噤むこともしばしば。
でも、不思議と彼と会った後は、違う視点から物を考えられたり、自分の意見の主張の仕方を見つめ直したりできるし、また会って話したいと思う。私の人生に、必要な存在。
何とも言えない、癖になる人なのだ。スルメみたいな、噛めば噛むほど味がするみたいな。
そんな味のある彼が、津駅まで車で迎えに来てくれて、私の伊勢志摩の旅は始まった。車中の中で、彼が一冊の本をプレゼントしてくれた。
剥き出しの生身の本を「これ読んで」とぽんっと渡すのではなく、包装紙にきちんと包んで、渡してくれるところが、何とも彼らしいなと感じた。
それから、奮発して松坂牛のすき焼きランチを食べて、伊勢神宮の外宮、内宮を参拝し、焼き鳥屋で食べて飲んで教育についてなど熱く熱く語り。翌日は横山展望台を必死こいて登り、料理自慢の民宿旅館「活鮮旅館 志摩半島」で温泉に入って、これでもかという程の海鮮料理を食べて、時折語って。
彼との久しぶりの熱い討論に、少しだけ食傷気味だった私は、彼のプレゼントしてくれた本の包みをとくことができないでいた。
怖かったのかも知れない。
三重の旅の後は、旅行会社時代にお世話になった先輩の家へ向かうために東京へ行く予定だった私を、津駅まで彼は送ってくれた。
「東京へ向かう、新幹線の中で読むね」と言葉を残し、私はまず名古屋まで向かう近鉄特急に乗りこんだ。
近鉄の中でも、名古屋で乗り換えた、東京行きの新幹線の中でも、私は本の包みを解くことができなかった。
東京駅からへ中央線に乗り、西東京にある先輩の家に向かった。先輩は、9月に一戸建ての家を購入していて、新築のお宅訪問にワクワクしていた。
一通り、ルームツアーをしたあと。リビングで寛いでいたら、先輩が一冊の本を持ってきた。
「ケーキの切れない非行少年たち」
「これ、読んだことある?衝撃だよ!!!」と、先輩はいつものように、元気にパワフルに本棚からその本を取り出し、私の目の前に置いた。
その本をパラパラと捲りながら。不思議な気持ちになった。
私は、急いで床に置きっぱなしにしていた肩掛けのポシェットのジッパーを開け、焦るように、包装紙を破いた。
私の手に、目の前に、2冊の本が並んだ。
繊細で感受性が豊で、情に熱い、不器用な彼。明るくてハツラツとしていて、細かいことは気にしない、ざっくばらんで面倒見の良い大好きな先輩。
いつも一緒にいて、全く違う感覚や感情を与えてくれる、正反対の二人がほぼ時を同じくして「ケーキの切れない非行少年たち」を私の手に届けた。
お伊勢さんが、「読んでみてね」と囁いているのかとさえ感じた。
「認知の歪み」「境界知能」で苦しむ人たちについて、忘れてはいけないこと、できること、一緒に歩んでいける社会であること。その対策と助言と。
多角的に捉え、柔軟に。拒絶ではなく、受け入れて、共存の道を探す意味。孤独になったり、孤立させたり、自己責任に偏らず、もっと優しく、他人を思いやれる、余裕のある社会であることの大切さ。シンパシー(同情的)ではなく、エンパシー(共有、理解、認知)すること、私の感じる考える真の自己肯定感についてetc・・・。
私が感じたこと、知ったこと、新しく考えたこと、自分なりの主張をまた今度会ったら、彼にぶつけてみたいと思っている。
次に会える日を楽しみに。
Smiycle
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